スキルス胃ガンになって 2

救急車に乗せられた私。

胃の中にあったすべてのもの吐き出したせいか、比較的落ち着いていた。。

保険証の提示を指示され、自分でカバンの財布から出して提示した。

「吐血量500㎖」という病院とのやりとりを聞きながら、いや1ℓはあったよと思う私。そうこうしている内に私の受け入れ病院が決まり搬送となった。救急車には部長が同乗してくれて、夫は自分の車で救急車を追走した。

病院に搬送され、点滴をされて諸検査を受けた。私は便意を感じ、トイレへ車椅子で連れて行ってもらった。その時、連絡を受けて病院に駆けつけてくれた義妹と夫たちのいる待合室の側を通り、後から聞いた義妹の話では私の顔は真っ白で血の気の全くない血色だったそうだ。

フラフラでおぼつかない足取りの私。愕然とした。真っ黒な便だった。これも後から知ったが、吐血するとその後の排便が黒くなると。

そして、吐血した私の胃には3か所の出血箇所があり、それを胃カメラからクリップ(止血)処置をすることとなったのだが、それが地獄だった。

49年間生きてきて、こんなに辛くて痛くて苦しいことはあっただろうかと思った。

辛すぎて、クリップする医師の腹部を腕で押して阻止した。手術以外で、意識のある処置でこれが一番苦しかった。

翌朝病院の一室で目が覚めた。吐血した血がこびりついて髪がガビガビになっていた。そこから鉄の臭いがして嫌な気持ちになった。

その日から3日間の絶食。

実は吐血の2か月前にクリニックで胃カメラをしており、「慢性の胃炎」との診断を受けていた私はその旨を看護師さんに話した。

「一応、生検に出したので約一週間で結果が出ます。何もなければ一週間で退院となります。」との看護師さんの話だった。私は一週間で退院する気でいた。

3日間の絶食の後は、義妹が毎日訪ねて来てくれた。時には差し入れのプリンを二人でこっそり食べて、事後報告した看護師さんに苦笑いされた。夫も毎日来てくれた。

仕事優先の生活に、夫とペアを組んでいた社交ダンス。フルで仕事をした後にダンスをして寝るのは夜中。出張など仕事が入っていない週末は朝から晩までダンス練習。レッスン。の日々。ただ、大きな病気をしたこともなく、お酒も好きで、ガンとは無縁の健康だけが取り柄?ってくらい健康であったがここ数年更年期障害の症状に悩まされていた。もしかしたら、もっと早くガンに気付けたかも知れないけど、胃の調子が悪いのも更年期障害以外考えもつかなった。

と言うことで、一週間、日ごろの疲れた体を休ませる期間と思い、入院生活を満喫した(;゚Д゚)

 

※この記事はガンになってから綴った私の5年日記を元に当時のことを振り返っています。

※アーカイブの月日は日記に沿ってあげています。

 

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