スキルス胃ガンになって 4

10月20日(木)ヘモグロビン低下 鉄剤投与

吐血したせいかヘモグロビンの正常値(11.3~15.2g/dl)より大分低く7程度だったので3日連続鉄剤投与された。

薬はオキシウムカプセル20mgを毎食後、のみ。

後に夫となるオットットは自分の実家の両親に私のことを話しに行った。

これから結婚しようという相手がガンになったのだ。二人の意思が強ければいいって問題ではない。これは、両親の承諾を得ないと結婚は出来ないとオットットに話した。オットットは仕事に行く前、早朝に実家を訪れて両親に話をする。

実家に到着したっていうラインからほどなく、30分くらいだったかな。以外と早く連絡がきた。

両親はガンになった話に驚かれたそうだ。(そりゃそうだわね。。)けど、知人に胃や十二指腸を全摘して元気にピンピンしている人もいる。大丈夫。支えてあげなさい。それよりも、救急で運ばれた病院が(評判の)良い病院で良かった!と励まされたとのことだった。

その後、私はオットットに電話を替わってもらい、申し訳ありませんと言った。元気になってね!頑張ってね!と言ってくれた。いつものお母さんの明るい声だった。

これでオットットの親には伝えた。あとは、うちの両親だ。私の両親は、弟の自宅の外構工事をするために丁度上京していた。

私はまず、上の弟の奥さん、義妹に電話した。吐血した日から毎日お見舞いに来てくれていたからだ。やはり、直接には言いにくいから義妹に話してもらおうと思った。

早速、義妹に電話した。

「今日は何時頃来るの?」

「あ、今日はね、いけないんだ~。明日行くから」

「あ、そっか~」と言って電話を切った。なんだか拍子抜けだった。これでいいのか?

やっぱり今日話そう!と思い再び電話すると、「もうそっちに向かってるよ」とのことだった。

毎日お見舞いに来る義妹に、「忙しいのに、そんなに来なくてもいいよ」と言っていた私から「何時に来るの?」って、なんか変!と思ったそうだ。

義妹はすぐにやってきた。

「私ね、ガンなんだってー」と言い、今の状況を話した。

 

私の家はガン家系ではない。うちの家で初めてのガンに私がなった。

義妹の目に涙があふれた。「すぐに、あーちゃん(母)を連れてくる!」

「連れてくるって?」

「私が運転してあーちゃんをピックアップして一緒にまた病院に来る」

義妹はその頃まだペーパードライバーだった。都会で運転なんて無理!と絶対運転しなかった。

「えーーーー?!運転大丈夫なのーー??」

「私、やる時はやるんです!こんな事態に出来ないでどうするの!行ってきます!」と、泣きながらも頼もしい口調だった。

その後、往復で遅くても2時間くらいかかるかな・・・と思っていたのが、なかなか到着せず、4時間後くらいに義妹と母、やっと来た。

なんでも、通常は下の道で3、40分のところ、知らぬ間に高速に乗ってしまい、えらい遠回りしたそうだ。とんでもない高速デビューだったみたい(笑)

「観光しながら来た」と笑いながら母が言った。義妹から既にガンのこと、私の状況を聞いていた。母は涙一つ流さなかった。私よりも運命を受け入れている感じがした。こんなことになって、、、、私、叱られるんじゃないかと(笑)ドキドキした。

この時、母と何を話したのか・・・覚えていないくらいに、特に会話がなかった。

「お父さんが、出来るだけ早く胃を取った方がいいって言ってたよ。」と。

 

母が言葉少なくて良かった気がします。ガンの宣告を受けてから、私は何故ガンになったのか、ガンになるくらい悪い行いをしたのか、私の何がいけなくてこんな病気になってしまったのかと原因を探して自分を責めていたのです。

 

この日の日記に、

『父母よ、本当に申し訳ない!でも、これが宿命なら仕方ない。ガンになった理由・・・もうどうでもいい!根治に向かって前を進むしかない!」

と書いていました。

 

 

※この記事はガンになってから綴った私の5年日記を元に当時のことを振り返っています。

※アーカイブの月日は日記に沿ってあげています。

 

 

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