外出許可を得て我が家で過ごした夢のような週末だった。
10月25日、朝から2ℓの下剤を飲み、大腸内視鏡検査を受けた。
夜9時に先生が3人病室に来た。
膵臓にガン転移の可能性が高い。腹腔鏡手術をしてどこまでガンが膵臓に及んでいるかを確認する必要がある、とのこと。よって私は消化器内科から消化器外科へと移ることに。
そして、今の時点で分かったことは
・スキルス性の進行胃ガン
・吐血したことが幸いだった(吐血がなければ、末期まで気付かず過ごしていたであろう)
・膵臓への転移の可能性が高い。転移ある場合、手術は不可能である
とゆーことだった。
なんでまたこんな夜遅くにこんな話をするのかな。。。眠れないじゃん!怖いじゃん!
オットットいないじゃん!!
私の質問に先生たちはとても困った顔をして言った。
「まだ手はありますから」と。
あーーー、これは死ぬんだな・・・・と思った。
私、結婚なんてしていいのかな。
皆、ごめん。
その晩、初めて泣いた。
父母よりも早く死んでしまう。これまでも何にも親の期待に応えられなかったのに、期待に応えるどころか反対に最悪の親不孝をすることになる・・・なんでこんなことになっちゃったんだろう。
泣いた。すっごく泣いた。
翌朝、消化器内科の若い男の先生がやって来た。
不安はありませんか?私は研修医ですが何でも話してください、愚痴でもいいですよ。ネットで調べない方がいいですよ。悪いことしか出てませんから。と言って下さった。
そして、私への選択として
①胃を取る(手術する) → 抗がん剤 → 少しでも長く生きる
②胃を残す(手術不可) → 抗がん剤 → QOL
一概にどちらがいいとは言えません、とのことだった。
けど、どちらにしても最終的に「死」という前提での話だったように思えた。
段々と私の中で「死」ってことが確信となっていた。
すると、不思議にも、もう怖いこと何もないように思えてきた。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ って言葉が浮かんだ。
もーどーにでもなれ! なるようにしかならないし。
私の命、神様にゆだねたー!
生きるも死ぬも、どうぞそちらで決めてください。それに従います。
と、日記に書いている。
変な話だけど、当時の日記を読むと、生きる気満々となっていました。
神様から「生」の許しをいただいたような気に。
ガンをやっつけて克服する、元気になる!生きて今度こそこれで親の期待に応える!と綴っていました。
※この記事はガンになってから綴った私の5年日記を元に当時のことを振り返っています。
※アーカイブの月日は日記に沿ってあげています。
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