大腸の縫合不全が発覚して・・・
私は高熱にうなされて意識が朦朧となっていました。
緊急手術することとなり、オットの携帯にすぐ病院まで来てほしいと連絡がありました。
私の前回の胃の全摘手術終了時、主治医の「手術は成功。しかし、スキルス胃ガンであり、厳しい状況に変わりありません」との言葉を思い出し、オットは病院に向かう途中不安でならなかったと言っておりました。
その時の手術説明書です。
主治医は「これ(人工肛門)は一時的なもの。抗がん剤が終了したら外せます。ただ、その間、肛門を使わなくなるので筋肉が緩みます。人工肛門を外しても肛門がすぐに使えないという事にならないように、日ごろからお尻を絞める運動をしてください」
と、言ってくれてましたが、、、まだこれから一年以上続く抗がん剤。治療はどうなるのか・・・ガンはどうなるのか・・・色んな不安要素があり、人工肛門を外すのはずっとずっと先のように思えました。
ああ。。。これで。。。もう一度ダンスを踊りたいという希望は無くなった。。。袋のついたダンサーなんて。。。
と思う一方で、毎日、何度もお尻を絞める運動をしていました。
絶対にまたお尻が使えるようになるんだ!と抵抗していました。
手術が終わり・・・私のお腹にはまるで梅干みたいに見える飛び出した腸が・・・
最初の二日程は看護師さんがパウチ(人工肛門)の張替えなどをしてくれましたが、3日目あたりから、パウチをくっつける練習が始まりました。
どのパウチが私のお腹に合うのか・・・どれが使いやすいか・・・パウチも備品も決して安くはなく・・・性能がいいものは高級でした。
普通、健康な人だと、排便は一日一度か二度のところ・・・人工肛門は便意が全くなく、、、気が付くとパウチがパンパンになっていたり、パウチから便を出しても出しても次から次へと便がたまり、、、その作業にぐったりと疲れることが度々ありました。
トイレに入ったまま、一時間以上作業していることも・・・
ということで、、、大腸の縫合不全から私はオストメイトになりました。
『最近ではね、新幹線やマクドナルドにもオストメイト用のトイレが設置されているよ』と主治医。
今まで気付かなかったな~。オストメイト用のトイレのマーク。
『オストメイトで普通に生活している人、結構いるんだよ』とも言われました。
あ~~、そう言えば・・・俳優の〇〇さんや・・アナウンサーの〇〇さんもそっかーーー・・・
けど・・・いつかは!!
私はお尻の筋肉運動、毎日欠かさずやりました。
※この記事はガンになってから綴った私の5年日記を元に当時のことを振り返っています。
※アーカイブの月日は日記に沿ってあげています。
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